夢幻廻廊

基本情報

ブランドBLACK Cyc
発売日2005-09-16
公式サイト URLhttp://www.cyc-soft.com/b-cyc-pro/mugen/index.htm
ブランドサイト URLhttp://www.cyc-soft.com/b-cyc/b-cyc-main.htm
管理人お気に入り度A心をがっちり掴まれた、今後何度も思い返すであろう作品
管理人おすすめ度A機会があれば勧めていきたい作品。
管理人プレイ時間19時間

こんな方におすすめ

  • 孤独感に悩んだことのある人
  • 抽象的な話が好きな人
  • 女の子に心から隷属してみたい人

こんな方は要注意

  • 世界観の謎解きをしたい人
  • 提示された謎について作中で回答が欲しい人
  • 肉体的に苛烈な R-18 シーンで抜きたい人(S/M 問わず)

感想

ひとりぼっちの美少年が美人姉妹とその母親である女主人によって“かとる”、もといヒト家畜へと調教されていく。その過程を通して孤独と幸せについて考えるという、他にはない贅沢な時間を味わうことができる作品。全てが狂っているのに安心感すら覚えてしまうお屋敷の雰囲気は唯一無二で、発売から20年経った今でも一部で熱狂的な支持を得ているのも頷ける。

人はみんな一人ぼっちで、寂しくて、幸せになりたくて、心を通わすことのできる“誰か”に飢えている。

一方で他人というものは心底恐ろしく、他人に歩み寄るという行為はとてつもない労力を要する。

そんな人間たちに、他人と心を通わせることなどできるのか?

そもそも心を通わせるとはどういうことなのか?

そしてその先に幸せはあるのか?

少しでも寂しさを持て余したことのある人間であれば、共感にせよ反感にせよ、登場人物の考え方に何かしらの思いを抱けると思う。

元より一人ぼっちの人間たちが孤独を癒すことのできる場所がもしあるなら、それは天国と呼んで差し支えないだろう。 そういう意味では、このゲームは天国を目指す物語でもある。 このゲームにおける天国への道は、美人姉妹による人を人として扱わない調教と、女主人との抽象的な問答でできている。

調教――“いっぷ”については、肉体というよりも精神を対象にしたものになっている。 苦痛や快感といった強烈な肉体的感覚を伴うプレイもあるが、それも精神を作り変える手段。 目的は主人公の“たろ”に被虐的な肉欲を植え付けることではなく、“たろ”の精神までを家畜たらしめ、主従の絆を結ぶこと。 そのため、流血的な意味でのグロテスクな表現はほとんどなく、痛みの描写も比較的淡白。

代わりに、段階に応じて自意識が徐々に徐々に家畜になっていく“たろ”の様子が積み重ねられていく。 ただしこれは「ループを重ねる中で」“たろ”が徐々に変わっていくという意味であることに注意。 同じループの中で、日を追うごとに“たろ”が変わっていく様子を「調教の過程」として捉えるとややあっさりした過程に感じてしまうかもしれない。

ゲームは1日に1回、四姉妹のうち誰から調教を受けるか選択することで進んでいく。 四姉妹はそれぞれ調教の方向性が異なる。

四女の奈菜香は、無邪気さゆえの残虐性が“たろ”を襲う。ただ、彼女がどんなに暴君であっても、そこにある純真さが消えるわけではないのがミソ。

三女の祐美子は、“たろ”を非常によく可愛がってくれる。しかしそれは人間としてではなく、あくまでペットとして。彼女との会話に付きまとう違和感が明確になったときはゾッとした。この作品でないと描けないヒロインだったと思う。作品全体を通しても重要キャラ。

次女の麗華は“いっぷ”初回から暴力的な責めを繰り広げる一見ねじの外れたお嬢さまだが、“たろ”に対する思いは四姉妹の中で最も“まとも”。彼女の暴力性も、“まとも”さゆえの怒りが根っこにあるのが悲しい。

長女の薫子は、ある意味作品コンセプトから一番イメージしやすいヒロインだと思う。病弱で世間知らずで、一見見た目よりも精神的にかなり幼い女性に見えるが、調教の手管は姉妹の中でもダントツ。言葉と道具を巧みに用いて、“たろ”の心を作り替えていく。一部で有名な“くつしたおいしい”など、倒錯的なシーンが多めだが、一番おぞましかったのは地の文でだけあった、『むしとり』(=口でゴキブリを捕まえさせること)の調教。怖いもの見たさだが、実際にシーンとして見てみたいほどだ。

彼女たちに調教を受け、個別エンドのようなものを迎えながら、屋敷での日々をループしていく。 既読のエンディングやシーンが埋まっていくにつれて、ループの段階(「第〇段階」)が進む。

個人の好みを言ってしまえば、ショタが肉体的な苦痛、特に体の内部からの苦痛を感じる様子がとても好きなので、R-18 シーンの内容については少し拍子抜けしてしまった。 残飯、生ごみ、体液、コンドーム、ドッグフードなどのゲテモノを食べるシチュエーションがせっかく複数回用意されているのだから、もっとえずきながら必死に食べる“たろ”が見たかった。 “たろ”は多少の嫌悪感を示しつつもなんだかんだで完食してしまうし、その後体も壊さないのでちょっと残念。でもすごい。どんな体してるんだ“たろ”は。

しかしテーマを考えると精神的な調教を重視するのは当然といってよく、拍子抜けこそすれ不満というわけではない。

また、昔のゲームにはたまにあることだが、一枚絵とテキストの状況がずれてしまっているシーンがちょくちょくあったのが気になった。(フェラから乳首舐めに移行したのに一枚絵がフェラのまま、顔面騎乗のシーンなのに一枚絵では顔面騎乗をしていない、など)

女主人との問答については、人の運命についての話に始まり、段階が進んでいくにつれて円滑なコミュニケーションや人間関係、愛といったところまで話が広がっていく。 トピックだけ抜き出して書くとまるで実用書のようだが、実用書のような個別のケースについての話はなく、「そもそも〇〇とは?」みたいな話が多め。 これがまた興味深く、かつ読むたびに別の味がする。 特に人間関係については、大規模言語モデル等の技術によってコンピュータとある程度自然な会話が繰り広げられるようになった現代だからこそ、より響くところがある。 その魅力的なやり取りの一端を取り上げたいと思う。

環「主導権を握る側が話を進める。そうでない側は、主導権を持つ側が求めている言葉を捜す」
環「これは、円滑なコミュニケーションの形なの」

この観点からコミュニケーションを考えたことがなかったが、身に覚えがなくはない。 例えばチャットボットとの会話では、自分が主導権を握り、 チャットボットに自分が求める言葉を捜させている。 まだ発展途上の技術であり、間違った回答が返ってくることもままあるが、“彼ら”とのコミュニケーションは確かに円滑であると感じる。 一方で、主導権は一定ではなく、主導権争いが起きていることそのものがコミュニケーションの満足度を上げることもあると感じる。 これは自分の中で結論が見いだせていないが、次の「心と心が通じ合うこと」の話に関連するのかもしれない。

環「心と心が通じ合ったときと、同じことが現象として起こり続けるのならば、互いの心に何の交流が一切なかったとしても、それは……」
環「心と心の交流がなされているのと、なんの違いもない」
(略)
環「心と心が通じる会話が欲しいならば、心と心とを通じさせることが必要、ということでは、必ずしもないということね」
環「心と心が通じ合った会話を先に設定して、その通りに返答するよう、条件付けをすれば……」
環「そうすれば、犬やカエルとでも、心と心が通じ合ったやりとりが、できるわ」

チューリングテストを彷彿とさせる女主人の持論。 反論できない、そうなのかもしれない、と思いつつ、その結論に飛びついてよいのかという躊躇いも感じる。 「心と心が通じ合うこと」と「心と心が通じ合ったやり取りをすること」をある意味明確に区別しているのも興味深い。 会話、つまり言葉は心と心を通じ合わせることができるのか。それとも無力なのか。 この作品をクリアしてから、未だに自分の中でせめぎ合いが続いている。 この議論も単なる意味深な会話ではなく、物語の結末に関わってくる。 どう関わるのかは実際にプレイして見てほしい。

美人姉妹による調教と女主人との問答以外の要素だと、“たろ”の孤独を表現する地の文が好き。 “たろ”が地の文で孤独を語る場面は数多くある。 その一つである、お屋敷の外の世界で、中学時代のいじめっ子たちとすれ違うときの息も詰まるような心理描写が非常に秀逸。中学時代のトラウマの想起ももちろんあるが、それはメインではない。 あくまで中学時代の記憶と今の灰色の毎日の対比がメインになっていて、独特の緊張感があった。 孤独が人間にとっていかに重大な問題なのかの表現にもなっていたと思う。

クリアした後の感想としても、評判通り、かなり人を選ぶ作品だと思った。 ただ、それを乗り越えた先には、プレイヤー毎に少しずつ違った疑問と余韻が得られる作品でもあると感じた。 R-18 要素も悪くないが、実用性というよりはどちらかと言うと物語の説得力や没入感を支えるという意味で機能していた印象。 慌ただしい日々の合間に、自分自身や心についてゆっくり考える時間がもし取れるとしたら、そんな時に手に取りたい作品。

投稿日: 2025-11-06

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